緊急声明 2011年3月29日 原発事故について

緊急声明

2011年3月29日
提携米研究会


(要旨)

放射能被害に境界はありません。
人は土を離れては生きていけないことを肌身に感じ、
放射能被害・風評被害を受けた農林漁業者に緊急の補償と早期の復興支援を望みます。
各地の「作れる」農業者に戸別所得補償をしている場合ではありません。
農林水産業の災害復旧、復興のために戸別所得補償予算の振り替えを求めます。


■私たちの立場
提携米研究会は、1986年に提携米アクションネットワークとして、農業と食の自立を模索し、生産者と消費者が、日本の農業の根幹をなす稲作とコメの生産、流通、消費について共に考え、行動してきました。特に、生産者と消費者の自由を脅かす減反政策と、そのための多額の補助金に対して撤廃を求めてきました。1993年の冷夏による大凶作と、その後の緊急輸入米の事件の際には、全国に呼びかけ1000人規模の減反政策差し止めを求める集団訴訟を起こし、農業生産者の生産、販売の自由、消費者が生産者とつながる権利の確立に力を注いできました。その中では、生産のあり方として、自然環境の中で持続可能で、いのちの大切さに立脚した有機農業や環境保全型農業を追求し、石油を中心とするエネルギー多投型農業からの転換や遺伝子組み換え作物などの問題にも積極的に取組んできました。
2010年度からのコメの戸別所得補償政策については、麦や大豆などの生産誘導としての補助金に一定の役割を認めつつ、余っているコメの生産に対して補償を付けることは国家予算のばらまきであるとして批判してきました。

■原子力発電所に対する考え方
原子力発電所については、反対の立場をとってきました。しかし、その一方で、生産者として、消費者として、石油、電力に頼る生活をしているのも事実です。
その矛盾の中で、いかに脱石油、非原子力で幸せな生活をつくるか、という視点からの運動と個々人の仕事や暮らしを考えてきました。
その運動と行動の非力さを、福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所の事故により、目の当たりにしています。
原子力発電所は得られる利益(電力)に対し、人や暮らし、自然環境に与えるリスクや悪影響が大きすぎ、リスクや悪影響は原子力発電所を中心として広い範囲や次世代にも及びます。スリーマイル島、チェルノブイリで人類が得た教訓と懸念が、今まさに「原子力大国」日本において現実になりました。

■フクシマ2011事故について
今回の事故は、未曾有の天災が直接のきっかけですが、政府や電力会社、マスメディアが長年にわたって主張し続けてきた「安全」神話ははかなく霧散し、原子力発電所は人の管理の手を離れ、この地球上に放射性物質をまき散らし、人と動植物の健康を冒し、土と空気と水を汚染する結果をもたらしています。
この事故を最小限に食い止めるべく、生命を賭して危機に対応する方々には、言葉には語り尽くせぬほど心から感謝しております。その努力により、一刻も早く放射性物質の放出が止ることを願い、ただただ祈るのみです。
フクシマ2011の事件としての責任は、後に徹底して追求し、明らかにすべきです。
しかし、今はその前になすべきことがあります。

■これからの覚悟とは
2011年3月27日現在、地震発生から17日が経つも、フクシマ2011の放射線物質放出は止りません。すでに、現段階でも葉物野菜、原乳、水道水から放射能が検出され、流通や食の制限がはじまりました。福島県では、春の大切な農作業を中止することとなりました。
一部の土地では長期にわたり生活や農業が営めないほどの汚染が起きているようです。微量ではあっても、フクシマ2011による放射性物質は、すでに地球を1周したとの海外のシミュレーションもあります。
放射線放出が止らない限り、汚染拡大は止ることがありません。
私たちは、乳幼児、子どもたち、若い女性達の食の安全に最大限配慮しながら、次世代のために現実を引き受けていく覚悟がいります。それは、望んだものではありません。しかし、非力故に原子力発電所を止められず、電力を多用する社会に生きているものの責任と覚悟です。そして、原子力発電所に頼らないエネルギー政策、生活、仕事のありようを社会全体で作り上げることが必要です。

■原子力政策と国民の責任
原子力発電所は、電力会社のみで設置できるものではありません。核物質については、国家が国際社会の中で国としての判断を行い、所持、使用を決めます。我が国は、国家として兵器としての核物質は使用しませんが、原子力発電は推進してきました。
現在、日本に設置されている原子力発電所はすべて、設置を受け入れる自治体があり、その合意の上に発電所が設置されました。原子力発電所を受け入れた自治体では、誘致に反対した住民もいましたが、総意として自治体が合意し、利益とリスクを引き受けたのです。
それ故に、私たちには、電力使用者としてだけではなく、国民、市民として、この事故についての責任の一端を担うことになります。
国民として原子力政策のあり方を考えること、市民として原子力発電所を自分たちの地域に設置することについて、電力や補助金といった目先の利益にとらわれることなく、将来のリスクも見通した判断をすることです。この事故を、国民・市民の責務について根本的に考える機会としたいものです。

■直接の被害者への国を挙げての復旧と賠償を
福島県では、一年でもっとも大切な春の農作業が中止されました。複数の県で多くの野菜が売れなくなっています。海洋の汚染もはじまっており、漁業にも大きな影響が出ます。
地震と津波による被害に加え、放射能被害と風評被害という人災が農林水産業に振ってかかりました。
土地に生まれ、暮らしてきた人間にとって、その土地や自然は何にも代え難い財産です。時に今回の大震災や津波のように自然は牙をむき、人の命を奪い、思い出や財産を奪います。しかし、それでもその土地を選び、共に生きてきたのです。土を耕し、木や作物を植え、牛や豚や鶏を育て、魚を捕ってきました。
その土地が、水が、風がいわれなく汚されていきます。
これほどの不幸はありません。
フクシマ2011の最大の被害者です。
単なる経済的な損失では語りきれない被害です。
その絶望感、無力感を思うと、やりきれない思いです。
東京電力は当然のこと、国家として損害賠償と慰謝料を払い、可能な限り土地を清浄化させ、それがかなわなければ集落ごとに生きていく場を提供すべきです。
風評被害により言われなき損失を受け、我が子のように育てた動植物を捨てなければならない生産者に対する損害賠償と慰謝料も同様です。
健全な土地を持ち、耕すことのできる生産者への戸別所得補償は今や無用です。
黙っていても、皆、今やるべきこと、すなわち食料増産への取組を、土地を持つものの責任として取組みます。
戸別所得補償の予算は、かの地の生業(仕事と暮らし)を取り戻すために、とりわけ、原子力発電所を誘致した記憶のない周辺の自治体や住民、農林水産業者に対し、補償と復興支援へと使われることを求めます。