WTOシアトル閣僚会議・NGO会議に参加して
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1999.12.5
明治大学兼任講師 山浦康明
現地時間で1999年11月30日より12月3日まで、アメリカのシアトル市において、
次期WTO交渉の枠組を定め交渉の方向性を確定する閣僚会議が開かれた。この会議は12月3日決裂し、課題であった開始宣言文の策定は行われず、
農業、サービス分野は2000年1月からのジュネーブでの再交渉で仕切直しとなる。これと並行して、
5万人以上のNGOグループが世界各地からシアトルに集結し、閣僚会議と並行して多くの会議・集会をもち、
WTO会議を批判する街頭行動を繰り広げた。日本消費者連盟も担う「ふーどアクション21」の組織派遣、及び「みどりの運動連絡会」
所秀雄代表の代理として、私もシアトルに行き、NGO会議に参加し、またWTO閣僚会議を見守ったが、
11月28日から12月3日までの現地での私の体験をもとに農業を中心とする貿易交渉を考えてみよう。
(1)
WTOボイコット運動と抗議のデモ行進
11月28日にはWTO体制を批判する街頭デモ行進が行われた。市のダウンタウンを舞台に数千人のプロテスター(WTOに批判的な人々)
がプラカードを持ち様々なパフォーマンスをくりひろげながらデモをし四つ角で集会を開いた。11月29日には、
WTO事務局主催のNGO会議に対し、ボイコットをねらいとして開場のコンベンションセンター(市会議場)にプロテスターが夜半に進入した。
WTO事務局は安全確認のため会議を遅らせた。私も会議参加のため3時間入り口付近で待つことになった。ダウンタウンではデモが行われた。
11月30日午前7時前からプロテスターは閣僚会議開始を阻止する作戦に出た。パブリック・
シチズンなどの呼びかけで何万人ものプロテスターが全米各地や世界からダウンタウンに集結し「人民の鎖」ピケ作戦に出た。
会場のパラマウント劇場周辺にピケを張り各国の閣僚や傍聴希望のNGO代表たちや報道陣を会場に入らせない作戦である。
WTO主催者側も対抗して会場周辺にバスを密接に連ねて円陣を張り巡らせた。その結果、
閣僚達の多くや会議傍聴希望のNGO代表の人々が会議場に入ることはできなくなり開始は夕方まで延期された。
ダウンタウンでは政府関係者の宿泊する高級ホテルや会議場周辺で何万人ものプロテスター達が四つ角でピケを張りダイイン
(路上に横たわり抗議する行動)を行った。午前11時ごろプロテスター達と彼らを排除しようとする警官側との衝突が始まった。
装甲車からは催涙弾が発射されプロテスターも道路のコーンパイプや棒などを投げ騒乱状況があちこちで生まれた。
この状況は終日続きこの混乱の中でプロテスターの一部が商店のガラスを割る行動がみられた。
しかし多くのプロテスターは催涙ガスで目やのどをを腫らしながら非暴力の抗議活動を夜半まで続けた。
NGOセンターのあるマジソンホテルへ情報確認に向かった私も5番街通で催涙ガスを浴びながらこの衝突を見守った。
その後12月1日以降はプロテスターはシアトルを去り始め、騒乱状況は12月2日にかけて平穏に向かったが、閣僚会議の日程は大幅に遅れ、
これが閣僚宣言の作成を失敗させる1つの要因となった。12月3日、プロテスターはWTO阻止をしたと勝利宣言し、
主催国のアメリカは権威を失墜させた。中心となったパブリック・シチズンは暴力行為が起きたことを残念としつつも運動の成果を評価した。
現場に立ち会いプロテスターのピケにより排除される経験をした私は、彼らの行動やWTO体制を批判する考え方には共感を覚えつつも、
NGO会議を重ねWTO交渉にNGOの考え方を反映させようとしてここシアトルに来たことからすればこうした状況を簡単に評価できない複雑な気持ちで会議に向かった。
(2)NGO会議の模様
世界各地からやってきたNGOは11月半ばから多くの集会や街頭行動を行った。私は、11月29日に時間を遅らせて開始された、
WTO事務局主催のNGO会議「21世紀の最初の10年における国際貿易問題に関するシンポジウム」に出席した。前半は
「次の20年間に対する貿易と発展の見通し」と題するセッションで、ムーアWTO事務局長をはじめ、ECのラミー貿易大臣などの、
「日本の経済発展を例に自由貿易の有効性を誇る」議論と、インドネシアやアフリカ貿易連盟のスピーカーの
「投資の自由化ばかりでなく貧困国の貿易潜在能力を高めるべき」
「世界的貧富の差がある現状では過剰な投資が食料の過剰をよび農家はより貧しくなる」といった議論の対立が印象的であった。
フロアーのNGO代表との討論では「貧困、労働、ハイテク技術、発展途上国問題を考慮できるようにWTOを改革すべきだ」との意見が出された。
しかし日本の経団連会長が自らNGOと称して「日本は貿易上の紛争処理をWTOに頼る他ない、
そのため日本はWTOに大きく経済的支援をしてきた。これからの世界経済で投資ルールやアンチ・
ダンピングのルールを明確にして各国の利害を調節する必要がある」と述べたことが印象的であった。
後半のセッションは「進化する公的関与と多角的貿易システム」と称して6人が話をした。メキシコ代表は、
「NAFTAによりアメリカの自由貿易圏へ参加し、国富を拡大できた」と述べた。また日本の外務省の野上審議官は「急速なグローバル化は金融、
GM技術、電子商取引などに及び、貧富の格差を生じる。政府は市民と産業界との調整を行い公衆の福祉を確保すべきである。
WTOは世界の人々の貧富の差を解消するために機能すべきである。だが先進国は国の余力がなくなれば環境保全も不可能となるのであり、
経済の発展の可能性はすべて否定できない」と述べた。それに対してはWWFインターナショナル事務局長の
「エコロジカルで持続可能な発展が必要だ」との主張や、アフリカのジンバブエ代表の
「WTOの運営は先進国の手に握られており第三世界の人々は外資の導入により自国の農業が存亡の危機になってしまった」との発言がなされた。
私も経団連の意見が日本のすべてのNGOの意見と受け取られては困ると思い、フロアーから
「自由貿易ルールは先進国の大企業などによる一方的な議論であり、公正な貿易ルールの確立をめざして、農業に関して各国の食料主権を認め、
環境保護と消費者保護を図る為に新しいWTOルールを作る必要があること、例えばGM穀物の規制、厳しい表示の徹底」などを訴えた。
韓国のNGOからもそれを支持する発言があった。
12月1日には「生命特許はいらない」と称しNGOが自ら企画・運営する集会が開かれ、私も午前9時から夕方まで参加した。
植物特許の歴史など原理的な説明がなされた後、特許に対する社会的、科学的批判がなされ、その後オルタナティブな提案がなされた。
この集まりにはヴアンダナ・シヴァやラルフ・ネーダーもスピーチをした。
12月2日は午前10時からNGO主体の「食料と農業のNGO国際会議」が全体会と午後の分科会という形で行われた。私も午前の全体会、
昼休みのデモ行進、午後の分科会「GM問題」に参加した。運動が始まって間もないこの問題に対するアメリカのNGOの人々に対して、
私も日本における遺伝子組み換え穀物反対の運動を紹介した。ここでは、
メールを駆使してお互いの運動をつなげていこうとする試みが広く行われていたが、運動の成果を日本からも世界に向けて発信する必要性を感じた。
こうしたNGO会議や集会などは12月3日にかけてシアトルのダウンタウンを中心に数多く開かれ、食品の安全性、第三世界の労働や投資問題・
貧困問題、環境問題、生産者の自立の問題、大企業の支配に対する市民の権利の確保など、いくつもの重要なテーマが論じられた。
こうした何万人もの人々の声がWTO閣僚会議に対して市民の側からの異議申し立てとして機能し、交渉の行方に大きく作用したことは、
12月1日にシアトルで行ったクリントン大統領の演説によってもうかがいしれる。
(3)
日本の政府交渉団の活動と閣僚会議
WTO閣僚会議は11月30日の全体会合の開始が大幅に遅れ、
11月29日に4つと決定された分科会も膠着状況が続き実質的な話し合いはなかなか行われず、
議長ペーパーも12月2日にやっと農業分野だけで出されるなど各国の意見の対立が最後まで尾を引いた。
全体会合は各国の閣僚が持ち回りでマラソンスピーチを続けたがこれは一人一度限りのものであり討議の形はとられていない。
交渉はWTO加盟134カ国中、
先進諸国がコンベンションセンターの会議室などでグリーンルーム会合とよばれる内輪の話し合いを行い交渉の舵取りをとろうとしたが、
第三世界の国々の不満がそうした交渉方法を抑制した側面も否定できない。
日本は農業分野については、すでにWTO農業協定20条に書かれている「非貿易的関心事項」の内容に農業の多面的機能を盛り込むこと、
輸出補助金の圧縮、林産物を鉱工業品と同一に取り扱わないこと、GM(遺伝子組み換え穀物)
を交渉の新分野として検討課題とすることなどを主張した。この農業分野での勢力関係としては、日本・韓国・EUなどの8カ国フレンズグループと、
アメリカ・ケアンズグループ、そして発展途上国、後発発展途上国の対峙という構図となった。
水面下では閣僚レベルの二国間協議や事務レベルの会合もひんぱんに行われ、深谷通産相とタイのスパチャイ副首相、
河野外相とムーアWTO事務局長との会談などの話し合いももたれた。ただNGOセンターで行われた各国交渉団の説明会(ブリーフィング)
ではEU主催のものに多くの人々が集まるなど、日本の主張の世界各国へのアピ-ル度は高くない印象を受けた。
会議場周辺などで繰り返されるロビー活動や各国間の非公式な折衝で日本代表団はどのような活動を繰り広げたのであろうか。
農業分野での交渉状況では、11月30日づけの日本、EU、ハンガリー、韓国、スイス、トルコの6カ国のワーキングペーパーがまとめられた。
これはEUが中心となって作成したのではないかと思われるが、その段階では日本の主張する農業の多面的機能の尊重という文言が存在し、
GM問題はバイテク問題の章の中で「健康や消費者問題などの関係で事実を究明する作業部会をつくる」という抽象的表現に変わった。アンチ・
ダンピングに対するルールの見直しも盛り込まれた。12月2日朝、
WTO交渉農業分野の議長を務めることになったシンガポールのヨー議長からペーパーが出されたが、これに対しては日本の河野外相が
「この分科会は全体像がみえない会合であり、多面的機能の表現がないこと、農産品と工業品を同列に扱う表現が残っており受け入れられない」
と述べ、途上国は「輸出補助金や市場アクセスの関税問題が不十分」と批判、ケアンズグループは「さらなる保護の削減を求める」などと批判し、
ほとんどの国がこの議長ペーパーに反対した。
このように農業分野でさえこのような状況にとどまり、深夜から12月3日朝にわたって閣僚レベルの折衝が続いたが、
ついに開始宣言文の策定は不可能となり、とりまとめを断念したという交渉経過であった。
(4)まとめ
こうしたシアトルの全体状況は何を物語るのであろうか。閣僚会議の農業分野では自由貿易万能の考え方は後退したように見受けられる。
先進諸国代表団のスピ-チでも「環境・安全や再三世界の国々の状況を配慮しつつ」という枕詞が多く聞かれた。
しかし各国の食料主権を認めるという相互了解とはほど遠い状況である。日本政府代表団も主張
した「農業の多面的機能の尊重」という考え方は各国の認識対象となりつつあるというところであろうか。
GM問題は各国の関心の的となったことは間違いない。
しかし今後のWTO交渉のなかでどのような規制が行われることになるのかは監視し続けなければならない。
交渉の透明性の確保という点では、WTO事務局の説明会が毎夕行われ、各国交渉団のNGOに対する説明も多く行われるなど、
情報開示に努める姿勢が見受けられた。しかし、
水面下で行われる交渉の中身をも材料にNGO側に交渉への協力姿勢を示すなどの動きはみられなかった。
特に日本政府には三者協議などによるこれまでの政治力学の手法が温存されていたようである。
しかし、交渉の決裂という結果をもたらした今回のシアトルでの会合は、
自由貿易が万能の考え方ではないという世界各国の政府や市民の声が反映し、
2001年1月からのWTO交渉においては幅広い人々の承認なしには決して世界の貿易ルールは策定されるものではない、
ということを示した点できわめて意義深いものであった。これからの動きを見守りたい。
最後になりましたが、組織派遣をしていただいた「ふーどアクション21」「日本消費者連盟」、そして現地でのNGO登録を進めて頂いた
「ふーどアクション21・みどり運動連絡会」所秀雄代表、渡航と現地での行動を手配していただき現地でも協力させていただいた「食とみどり、
水を守る労農市民連絡会議」「全日本農民組合連合会」「平和フォーラム食・みどり・水委員会」、伊庭みか子事務局長による「WTOに異議あり!
シアトルツアー」、英文をチェックしていただいた日消連の浦野久子さんをはじめご協力いただいたたくさんの人々に感謝いたします。