部分関税化のオモテとウラ
[ 1999年02月28日 レポートに戻る ]
橋本明子(提携米ネットワーク代表)
●EC代表の言葉
1990年暮れ、ガット・ウルグアイラウンド終結にむけ首脳交渉がベルギー・ブリュッセルで開かれたときの思い出から話をはじめよう。
それと時・場所を同じくして各国NGOも民衆ガットを開こうという呼びかけがあり、私も日本のNGO代表の一人として参加していた。
日本からは社会党代表団も参加していたため、その後にくっついて、多くの各国代表と事前に会見することができた。中でも、
EC代表の発言が印象に残っている。
彼は言った。
「皆さんの意見は理解しました。が、日本政府の意見とは違っていますね」
その前日、日本政府代表に会い、米自由化阻止に全力をかたむける、皆さんもよろしく、というあいさつがあった直後だけに、大変奇異に感じた。
あとで調べてみると、EC代表発言のとおり、日本政府を代表する立場の人たちが、水面下でアメリカと、
関税化猶予とその代替措置としてのミニマムアクセスについてすでに交渉をはじめていたのであった。かくて、多国間交渉のかたちをとりつつ、
実質は日米二国間交渉が、関税化猶予、ミニマムアクセス受入れの線ですすめられ、93年12月15日に正式に妥結したのは周知のとおりである。
いわゆるコメの部分開放と報道されたのであった。
●理解しにくいコメ例外論
93年の妥結に至るまでの日本側の論理は、コメ例外論につきる。「コメは国民の食生活の面でも、農家の所得や環境、
国土の保全の面でも格別に大切なのだ」という、ウルグアイラウンド終結に持ち込んだ日本のこの論は、韓国の同調、ECの同情はあったものの、
自由貿易体制の下で優位を保ちつづけようとするアメリカの前に屈服せざるを得なかった。
民衆ガットで各国NGOと話したとき、食糧自給論、持続可能な農業への挑戦と、巨大アグリビジネスを拒否する家族経営農業の存立、
環境保全といった問題では共通理解に達したものの、コメ例外論となると、正直なところ、心底からの理解はむつかしいという感じを受けた。
日本は自由貿易体制の中の一方の旗手として、世界の隅々にまで日本産品を売りまくっている。穀物輸入も桁外れに大きい。上記環境論、
自給論と組み合わせてみたところで、大きな流れからみるとそぐわない。他の穀物は輸入してよくて、コメだけはなぜだめなのか。
それが、世界の認識である。
1999年に至って突如関税化切りかえを打ち出した日本政府は、2000年以降の再交渉の際、かつて敗れた自給論、環境論(多面的機能)、
条件の違いなどを再度持ち出すつもりのようである。有利な結果が勝ちとれるとは到底思えない。
●コメ関税化~高率すぎる。将来は白紙ではない
1998年12月17日、政府は99年4月からコメ輸入をミニマムアクセス+関税化猶予の従来方式から、即時関税化に切りかえると決定した。
ミニマムアクセスによるコメ輸入量では、93年当初から即時関税化の方が負担は少なくてすんだのに、日本政府は当時それをとらなかった。
国内の激変措置に自信がもてなかったこと、アメリカへの追随主義から脱することができなかったこと、
さらにはきびしい条件を受け入れることでの見返りを期待する向きが多かったからである。
自由貿易の拡大、世界経済の回復、また、しつような日本たたきをまぬがれることが期待された主なところだが、実態は、世界規模での経済不況、
自由貿易体制の危機となって、期待はみごとに外れてしまった。あまつさえ、日本のコメは、在庫の増大と、はけぬミニマムアクセス米のつみあがり、
と、今や八方ふさがりだ。ここで関税化に切りかえるのは、ミニマムアクセス量をおさえるだけでも若干の効果があると思われる。
しかし、関税化するにあたり99年度に設定された関税率約1000%は、アメリカをはじめとする輸出国にとっては受け入れがたい高率であり、
早晩引き下げを迫られるのは火をみるより明らかである。
ここで、2000年以降、ウルグアイラウンドをひきつぐWTOに関する協定の関連事項をみておこう。
(1)……関税以外の国境措置はすべて関税におきかえる(包括的関税化)。転換後の関税は原則として国内卸売価格と輸入価格の差額とする。
この関税は1986~88年を基準年として1995年から6年間に農産物全体で36%、各品目最低15%を毎年同じ比率で削減する……(以下略)
2000年以降は白紙で、再度新たに交渉に臨めるような報道が誤りであることは、これだけでもはっきりする。
●自由化といわずに自由化をすすめる
ガット・ウルグアイラウンド交渉当時は、それこそ国論を二分したとさえいえるコメ輸入問題であったが、
正確な判断が下せる十分な情報が国民に与えられていたかというとそうではなかった。先にブリュッセルへ社会党議員団が出かけたと書いたが、
その時の団長は村沢牧氏であった。細川政権下で彼は農水政務次官をつとめていた。ミニマムアクセス受入れ後、氏は責任をとって辞任したが、
農水省内にいても一切の交渉経過は知らされなかったと後に述べている。
当然、国民は情報不足だった。コメ産地である新潟県下、新潟放送は「政府のコメの部分自由化をどう思うか」
と県民200人を抽出して電話によるききとりアンケートを行なった。回答拒否はなかったが、仕方がないと答えた約60%の他に、
わからないと答えた人が12%いたことは、国民に正しい情報が与えられていなかった、という点で注目すべきである。当時はこのテーマで連日、
マスコミは大にぎわいであったにもかかわらず、である。
まして、コメのミニマムアクセスの陰にかくれて、麦類、乳製品、でんぷん、豚肉など、これまで輸入制限をしてきた品目を関税化したことは、
世の耳目を集めなかった。他の農産物を犠牲にして関税化猶予を勝ちとったはずのミニマムアクセスを、政府は約束年度がくる前に、
自ら関税化へと切りかえてしまった。
農政については、相談にあずかるはずの全中にも知らされたのは11月になってからで、関税化決定後、全中会長は「検討期間が短く、
組織内の協議がきびしかった」とコメントしている。将来の農業、食糧政策いかんによっては、自らの生存を左右される国民一般は、
今回も決定後のマスコミ報道で知るしかなかったのである。
(学陽書房刊『「米」 いのちと環境と日本の農を考える』をお持ちの方は、“部分開放のオモテとウラ”
という論を読み返してください)