米の関税化にいたるまで
[ 1999年02月28日 レポートに戻る ]
事務局・牧下圭貴
今年、1999年4月から米は関税化(市場開放)されます。現在は、1995年からはじまる最低輸入義務(ミニマムアクセス)
などにもとづいて米が輸入されていますが、これは、1993年12月に合意されたガット・ウルグアイラウンドにより、
関税化を受け入れる代償として日本が受け入れたものです。今回の決定は、93年のウルグアイラウンド合意受入れ後の既定路線であったとはいえ、
十分な国民的議論もなく、全中、政府、自民党間の協議のみで、しかも、議論としては極めて短期間に表にのぼっただけで確定してしまいました。
生産者、消費者を交えての広い話し合いはもとより、国会での審議もないままに、「米の市場開放」
という国の重要な政策転換が行なわれたことは許しがたいことです。同時に、この関税化の決定過程は、日本の農政が国内の食料・
農業をないがしろにしてきた歴史が踏襲されていることをあらためて浮かび上がらせました。
米の関税化にいたるまでの歴史的な経緯をまとめました。
●ガット・ウルグアイラウンド
ガット(GATT・関税と貿易に関する一般協定)は、1947年にはじまった多国間の交渉による貿易協議です。ラウンドとは、
ガット締結国が集まって多国間の交渉をすることで、1986年にウルグアイで開始された交渉をウルグアイラウンドと呼びます。この交渉では、
輸出入規制の撤廃や関税の引き下げ、知的所有権、投資問題などが協議され、1993年12月に最終決着しました。日本は、
米を除くすべての産品の関税化と、「例外なき関税化」の特例措置として、米についてはミニマムアクセス(最低輸入量)
比率の引き上げを選択しました。
ウルグアイラウンドの最終案では、もし1995年から米の関税化(市場開放)を行なっても、国家管理を続ける限り、
ミニマムアクセスとして1995年度で国内消費量の3%、2000年度で5%の輸入を行なう必要がありました。それが、
特例措置により関税化拒否の代償として1995年度は4%、以後年に0.8%ずつ比率が上がり、2000年度には8%
となる輸入義務となったわけです。
この特例措置を選んだのは、日本、韓国、フィリピン(以上、米)、イスラエル(乳製品等)ですが、韓国、フィリピンは途上国扱いで、
ミニマムアクセスが10年間で1~4%となり、日本だけが高率のミニマムアクセスを背負った形になっています。
(米関税化までの流れ)
1986年9月、ガット・ウルグアイラウンド交渉開始
1987年4月、日米農相会談で、アメリカ側が米の市場開放を要求
1991年12月、ガット事務局長のダンケルによる「例外なき関税化」提案
1993年7月、東京サミットにて、年末までにウルグアイラウンド終結決意を表明
1993年10月、大凶作
1993年12月、米の緊急輸入開始
1993年12月、米のミニマムアクセスを受入れ、ウルグアイラウンド終結
1994年4月、WTO協定署名
1995年1月、WTO発足、協定発効
1995年4月、ミニマムアクセス米輸入開始(379,000トン精米ベース、国内消費4%相当分)
1995年11月、食管法廃止、新食糧法施行(一部4月より)、SBS(売買同時入札)開始
1997年11月、新たな米政策決定
1998年 生産調整963,000ヘクタール
全国とも補償開始、稲作経営安定対策
自主流通米値幅制限撤廃
インドネシアへの第一次緊急米援助
1998年11月、農政改革大綱決定
1998年12月、米の関税化(市場開放)決定
●食管法と減反政策
1995年、政府による米の輸入がはじまりました。これにより、「自給堅持のために減反政策をもって米の安定需給を図る」
としてきた減反政策への言い訳が通用しなくなりました。
また、食管法も国内で実質的な流通自由化が先行し、その歴史的な役割を終えつつありました。そのような状況の中、農水省は、食糧庁を残し、
国内農業政策への管理を引き続き維持するために新食糧法をもって対しようとしました。
この点について、『提携米通信』(旧・15号 95年7月)で、杉浦孝昌氏は、「政府・
食糧庁の減反への固執がめだつ平成7年度米需給基本計画」の中で次のように指摘しています。
「まず第一に政府は財政負担を軽くしていくために、国産米の流通責任を小さくしてそれへの介入を弱める。第二に、
それにかわって全面管理ができる輸入米(今後SBS輸入の割合を全体の約1割程度まで徐々に増やすといっても)を使い、国内稲作の減反
(生産調整)と国内米価への影響力を行使し、農家規模の拡大等の「新農政」路線を実現していく、という意図が浮かび上がってくる」
「政府は政府管理米集荷量を減らし、しかもその内の政府米分を減らして自主流通米分を増加させてきている。
在庫コスト負担を農協に転嫁しつつあると考えられる。そして、農協の負担を大きくしておけば、それだけ農協主導の“選択的減反”
の実効が上がるという計算が成り立つ、また価格低下圧力が高まるので、その分農業の“合理化”
をやりやすい環境になると考えているのではなかろうか」
まさに、その後の事態は杉浦氏の指摘通りに推移し、減反はいまや全水田面積の4割にも達しようかとする勢いであり、
生産者への締め付けは食管法時代の比ではありません。
●2000年WTO次期交渉
WTO(世界貿易機関)では、2000年に次期交渉が開始されます。この交渉では、
ウルグアイラウンド後のさらなる世界の市場開放を軸に協議されることになります。
米については、仮に日本が「特例措置」を継続していた場合、
特例措置の期限である2001年後の取り扱いについて米輸出国と日本との間で個別協議を行なうことになっていました。この交渉を避けるには、
1999年度もしくは2000年度までに関税化に切り替えるしかありません。
一方、農産物のような国の基幹となる産物は自由化すべきではないという主張を、日本、韓国などが展開しています。しかし、「例外なき関税化」
というルールを変えるには、WTO加盟国132カ国中3分の2以上の支持が必要であり、非常に困難です。
このことから関税化への移行は既定路線でした。
ウルグアイラウンドで仮に米の関税化を選択していた場合、
今回の関税化決定と同様に輸入量はミニマムアクセスよりはるかに少なかったことは間違いありません。93年当時、
政府が特例措置を選んだ背景には、米の市場開放をしないという政府方針によるものというより、
国家管理や食糧庁維持といった官僚権益があったのではないでしょうか。そして、新農政、新食糧法に続き、農政大綱、新農業基本法の流れに沿って、
今回の関税化決定も用意されていたのです。