減反問題は、農業問題、食料問題の根幹に関わっている
黒瀬正(秋田県大潟村ライスロッヂ大潟・提携米研究会共同代表)
2008年7月4日「世界的な食料不安の中、減反政策の強化でいいのか?
食料の自立を求めて 米生産者と消費者の集い」より(テープ起こし)
大潟村の農家です。ここにきて減反の強化の話が出てきました。そこで、一度、集会を持とうという話になりました。今までの減反の経過、歴史を振り返り、問題点をかいつまんでお話しします。
今日は、若い人達も多く来られていますので、昔々の話をするようなところもあります。
●一時的、緊急的な措置ではじまった減反政策
日本は昭和42年まで米を輸入していました。それは今のように外国からの圧力によっての輸入はなく、国内で米が足らなかったからの輸入でした。
ところが、昭和44年から米が急に余ってきます。そこで、昭和45年に、緊急避難の一時的政策の試験的な減反政策がはじまり、昭和46年から本格的な減反政策がはじまりました。
これが、日本の農業、農村、農政を大きく変えるきっかけになりました。
このときに起きた減反政策は、あくまでも緊急避難の一時的政策であり、米が大量に余ったから仕方がないというものでした。
米余りは農薬や化学肥料の多投によって急激に生産性が向上したことの結果であり、今後、高度経済成長によって農村から若者が都市に出て行くことで、数年後には米は足らなくなるはずだという認識がありました。
また、今後、米が余るのであれば、減反政策ではなく、別の方法をとるべきだという認識を当時の政治家、役人は持っていたと思います。そこには、日本が自由主義経済をとっており、減反政策は社会主義的経済政策となるため、日本の制度にはなじまない。たとえば、日本でも企業が不況カルテルを結んで生産調整をすることができますが、あくまで期間を区切っての需給バランスを回復させるためのものという認識があっただからです。
そこで、市町村長、県知事、役人は、当時、米が余って大変であり、一時的な政策としてしのびがたきをしのび、耐え難きを耐え、緊急だからがまんして欲しいと農民を説得しました。
国会は、「減反政策は強制してはならない」との決議をしています。
●膨大な予算が浪費された
実は、昭和40年頃から米は余り始めていましたが、同時に米の輸入もしていました。当時は食管法によって政府の管理下にありましたので、余った米の処理に政府は1兆円のお金を使いました。それでは大変なのでと単年度、直接経費だけで3000億円をつかった減反政策を始めたのです。
さらに、都道府県、市町村の農業関係職員のうち、減反政策に関わる職員が半数を占めています。野菜の振興も減反政策の一環として行われました。
当時、減反奨励金という名の農家への直接補填だけで1800億円、関係する補助金を合わせて3000億円の直接経費となりました。さらに、都道府県市町村の減反政策関係職員の人件費も加えたら、単年度でも膨大な予算が減反政策のためにつかわれていたことが分かります。
数年に渡る古米処理1兆円が大変だからと、単年度で
3000億円プラスアルファをつかっていたのです。それでも、何の解決もできませんでした。
●農民の誇りを失わせた減反
この減反政策によって、農民の誇りが失われました。
一粒でも多く収穫しよう、こぼれた米も拾おう、畦畔を削ってでも米を増やそう、それが農民の努めであるという、農民文化が農村には古来からありました。これがすべて正しいとは言いませんが、とても道徳観の高い農民文化でした。
それを、米を作るな、休耕しろ、青刈りをしろと言われたとき、農民は皆打ちのめされました。今まで、米を作ることが自らのなりわいであり、社会にも益になることであると誇りを持っていました。それを緊急避難であるといえ、やめろと言われたことは、個人のそれまでのすべての人格だけでなく、代々田んぼを守ってきた先祖まで否定されたような気持ちになり、各地の農村では自殺者までも出しました。
これが、緊急避難の4、5年間のできごとです。
●「五人組制度」の導入
この緊急避難的な減反政策が数年経ち、いざ終わらせようと思ったら、日本経済は足踏みし、思ったように農村から都会に人が出て行かない、米の生産意欲は強い、さらに、アメリカナイズされた食生活によって米の消費がどんどん落ちてきました。
昭和52年、53年から起きた減反政策は、緊急避難という言葉がはずされ、3年ごとに見直しながら減反政策をやるという実質的に恒常的な減反政策に形に変わっていくことになりました。
これで、全国の農民は真っ暗になりました。
このときまで、全国の農民、農民団体はどなたも「減反反対」、農民の誇りまで奪う減反はたとえ金をもらったとしても、それで済む問題ではない、と、青年部も、革新系も、保守系もみな反対運動を展開していました。
それが、恒常的な減反政策になったとき、ある役人が減反政策に「五人組」制度を持ち込みました。部落で減反政策を達成しなさい、市町村で達成しなさい、都道府県で達成しなさい、達成しない市町村は補助金を減らす、嫌がらせをする、ダムを造ってと請願しても作らない。そういうしくみを持ち込み、農村の中に互いに反目しあうようにして、減反の達成をするようにしました。
これによって、「減反反対」を訴えていた農民、農民団体は保守系も革新系もすべてが立場を変え、「減反をやらない者はけしからん」となり、内部分裂も誘発しました。
これは、江戸時代の五人組制度を使った手法です。
こんな民衆管理の手法が、江戸時代以降に使われたことは、一度だけあります。
それは太平洋戦時下の「部落責任供出制度」です。この時期には米英を敵に回して戦争しているのですから、問題ではあっても、仕方のないこととも言えます。
この部落責任供出制度とは、戦時下に政府は農民に米の供出を割り当てました。しかし食糧不足の環境の中では、農民は割り当てられた数量の米を出荷(供出)しません。
そこで政府は、警察官を動員して農民の納屋を調べ、横流ししている農民をブタ箱に入れるなどして躍起になって集めました。これは農政の歴史の中で「サーベル農政」と呼ばれています。この訳は、警察官がサーベルをぶら下げて米の供出強制に走り回ったからです。ところが、それでも割り当てられた米は予定通り集まりません。
このとき考えられたのが、江戸時代の五人組制度からヒントを得て「部落責任供出制度」を創設したのです。
これは、それまで個々の農家毎に配分していた米の供出数量を、部落毎に割り当て、部落に連帯責任を持たせることで、農民同士を相互監視させることを狙ったのです。 この結果、それまで計画量が集まらなかったのに、どの部落も、場合によっては冷害などで農家が食べる米に困っていても米が集まるようになったのです。こんな悪辣な手法を、平和な時代に使うことにしたのですから、人間として許せないまったくもって悪辣なやり方です。これを考えついた役人は早くに亡くなったそうです。
この政策によって、減反をしている人は、その不満鬱憤を減反していない人にはらして、「あいつが減反していないから許せない、損になる」という農民を分断する植民地政策がひかれました。これほどに国民の日本の農村の民主化を逆回転させた政策はありません。
非常に善良で、平和で、素朴で、道徳的な農村の農民を悪辣に分断し、本来農民自身が自立しようとする力や、自分や社会のために働くと喜びといった誇りをすべて奪い、今日にいたっています。
これが減反政策です。
●米の新農政は1年目に逆行した
平成18年ぐらいから、農水省は減反政策をやめようという発想を持ち、市町村などの減反は、農業団体が主体となり行政は手を引こうということになりました。もうひとつ、減反は自由で良く、米が売れない人の米だけは政府が助けるために減反に参加してくださいということで、農水省の地方農政事務所も都道府県市町村、農協に行って説明をしていました。それを聞いた地元の市町村、農協、農民はそこまで農水省が変わったのかと・進歩したのか、びっくりしました。
その流れの中で、政策の善し悪しは別として、平成19年より品目横断型の政策に米も位置づけられ、4ヘクタールとか10ha以上の大規模農家中心の政策に大転換しました。
ところが民主党が、昨年の参議院選挙で「政府・自民党は大規模農家だけを助ける政策をしている。」「これは許せない。」とすべての農家に所得保障するとの集票目的だけの選挙政策を打ち出しました。
しかし、当時の自民党の農村利権議員は、もはやばらまき的政策で農民票は集まらないと冷静に見ていました。ところが、実際には参議院選で民主党が大勝しました。
今度は、自民党の農村議員で時代錯誤な人達が、ふたたび、もっと農村にばらまきをしなければならないと思いました。そこで、減反政策の緊急対策を打ち出し、政府米の買い入れをして米価の下落を助ける、減反補助金を増やすなどに、500億円をつけるという政策を農水省と作りました。減反を強化して、減反に協力する人を助ければ、票が戻ってくると考えたようです。これについ数カ月まで大規模農家という政策を出していた農水省の官僚たちも臆面もなくこれに追随して、40年もさかのぼったような厳しい減反政策に転換してしまいました。
これらは民主党も自民党も本気で農業政策を考えたことから出ているのではなく、農民をごまかし、票を取るにはどうしたらいいかと考えている結果なのです。
●米は本当に余っているのか?
さらに、昨年秋には、米価が思った以上に下落したから、農民は先行きに青くなりました。そこで、政府米の買い上げに80億円つけて、30万トン買い上げたら米価が戻るだろうと政府は思いました。
ところが、この春からちまたに米がなくなり、大高騰しています。新潟のコシヒカリは、昨年の10月と今日とでは
8000円も高くなっています。
昨年の秋に米は本当に多くあったのでしょうか? その結果、昨年秋に米価が下落したのでしょうか?
これは逆で、昨年の秋に価格が下がったという現象を見て、米が余ったと錯覚したのです。
今や誰も米の実態を知っていません。過去10年で米の市場は大きく様変わりしました。米の市場形成の場に出てくる米は少なく、先にスーパーなどが年間契約をし、その間に立つ三菱商事や神明などが大口を押さえています。その結果、市場形成は過去の50分の1ぐらいの数量で価格が決まっていきます。
別の作物でも同じような例があります。サクランボの例ですが、輸入自由化され、国産のサクランボ価格が暴落すると見られていました。しかし、実際には輸入が始まったら国産サクランボは大高騰しました。その頃までは国産サクランボは市場に出ていましたが、ちょうど輸入自由化と同じ頃、ゆうパックやヤマトの直送便がはじまりました。いいサクランボは、これらに押さえられてしまい、青果市場に出てくる国産サクランボの量が急減しました。その結果、市場価格が高騰したのです。
この例と同じように、昨年の米でも、実際には米が不足していたにもかかわらず、価格形成される米市場に米の一部しか来ないことで、米の実際の需給が反映されず、米の価格が暴落し、今度は今になって高騰しています。
先頃、農水省が一度買い上げて販売を凍結した政府米を市場に一部放出するということになったとき、政府関係者は暴落を恐れましたが、販売してみたら、いくら売っても、価格は下がらず、足りないということが分かってきました。
平成19年の秋以降、世界的な食料問題が出てきました。この春先以降、ミニマムアクセスでのオーストラリアの米が1俵12000円になるといった形で、米が外からは入らないような状況になりつつあります。すでに、今、米の価格は高騰していますが、この秋にはもっと高騰するかも知れません。
この減反政策は、農民の誇りを奪い、自立性を失わせ、日本の農政を悪くしました。
そもそも食料は、常に過剰と不足の間で揺れ動くのは当たり前です。それを、人為的に完璧なコントロールをしようということ自体が、神への冒とくです。
この数年財政不足で徐々に減りましたが、毎年毎年減反政策の奨励金を出し続け、地方の減反に関わる職員を含めると4000億円にもなる予算を40年も45年も続けています。それでも、平成5年、6年(1993年、94年)の米パニックを起こしました。このように、政策のもくろみは外れています。
昨年の秋に、価格の下落を見て、米は余っている、もっと減反面積を増やさなければと10万ヘクタールの減反分を上積みしました。今年の秋、米が足りないかも知れないのです。
●食糧法の問題点
日本の農民が、なぜ今日のように自立心や社会性のない人格になったか、さかのぼれば、昔から米を管理したことで、農民に自立感をなくなり、政府に頼るような体質になったのです。政府が悪い、自民党が悪い、民主党が悪い、役人が悪いということだけでなく、農民自身が自立心を持ち、自分の仕事を通して社会に貢献するにはどうするのかと考えることなしに、今の農民の先はありません。でなければ、今の農民がすべていなくなり、まったく新しい農民たちに変わってしまうまでは日本の農業はどうしようもないというところまで来ていると思います。
最後に、今の食糧法についての話です。
食管法において、減反政策は単なる奨励行政でした。減反した人には休耕奨励金、大豆奨励金などが渡されました。私は当時、「自分は乞食ではないから国民の税金はいらないから、私は米をつくる」と言いました。そういうことを言うから私は嫌われるのですが、メカニズムはそういうことです。
かっての食管法下においては、減反政策は法的な根拠はありませんでした。
しかし、今の食糧法では一見、拘束性がなくなり自由になったように見えますが、減反政策についてはきちんと法的根拠が書かれています。
行政は法に基づかない行政執行をやってはいけません。それを平気でやってきたのが食管法下での減反政策です。
新食糧法は減反政策の法的な根拠があります。
もうひとつ、新食糧法では米が不足したとき、かつての食管法以上に政府の強権を発動できるようになっています。基本的には、不足時に強制的な統制をすることは必要なことですが、100%うなずくことはできません。大きな問題を抱えています。
日本の有機農業がこれまで続いていたのは、大地を守る会や生協などをはじめ、有機農業を支援しようという自覚を持った組織や消費者に支えられてきたからです。もちろん、消費者の方には、高くても安全なものが欲しいというだけの利己的な方もいます。それが悪いことではありませんが、自分は農業はできないけれども日本の農業を支えていきたいという社会性を持った方がたくさんおり、それで有機農業が支えられており、有機農業推進法ができた今でも、この消費者に支えられ、伸びていく必要があります。
提携米における「提携」も、機能分担として農家が米を作り、その日本における食料生産を消費者が支持し、支えていくというところから出ています。
米が余っているときでも、産直や提携によって、有機農業やこれらの米を支えた。この関係を統制強化される際にある程度統制から除外するなどの体制がなければなりません。
そうでなければ、ふしだらな消費者が余ったときには安いものばかりあさり、いざ足らなくなると権利を主張し、平等分配を求めていては、どうにもなりません。
今日の食料自給率3割台について、政府が悪いと言う人が多いですが、これはそうではない。無責任な消費者が主食を捨て、かつて120kg食べていた米を半分も食べなくなった。肉や卵や乳製品などに移りったから、飼料の輸入が大幅に増え、結果として39%の自給率になったということです。
国際問題で輸入する必要があり、その結果自給率が下がったというわけでは決してなく、消費者が勝手にやった結果です。それを消費者が自覚しなければならない問題です。
これは政策主導でやるべき問題ではありません。政策は、その自覚をもっていただくためのものであるべきです。政策が食料自給率を上げるということは、肉を食うな、卵を食うな、食べたら罰則という法律をつくればいいだけですが、それは政府がすべき問題ではありません。自給率とは、生活者自身が考えるべき問題です。
そのあたりまで思いをはせて、減反問題は、減反問題だけの問題ではなく、農業問題の根幹、食料問題の根幹に関わる問題だ、日本だけでなく、世界の問題だという視点で捉えていただきたいと思います。