立憲民主党の農業政策方針は間違いである
2021年9月20日 提携米研究会事務局長 牧下圭貴
過去9年間の自公政権により、政治・政策が不公正にゆがめられました。また、情報公開機能や多様な議論の機能も失われました。その回復のためだけでも、現政権から別の政権に代わる価値があると思っています。
また、原発事故を受けたエネルギー政策の転換、新自由主義的な過度な経済政策によって悪化した生活や福祉のセーフティネットの再構築も必要になっています。
その点で、野党第一党のあり方には当然関心が高まります。
そうしたなかで、立憲民主党が、農業政策の方針として、稲作農家への戸別所得補償、コメの減反政策の復活、在庫の買い増しなどを打ち出しました。
これは、大きな愚策です。
いま、野党が政権交代にあたって訴えるべきは、「政策の大転換」よりまえに、政治の「公正さ」「情報公開」の回復であり、その上での政策の見直しの「議論」です。
その点で、立憲民主党が最初にかかげた「政策転換や法整備をしなくてもすぐにできること」は正しい戦略だと考えました。「まずこれをやります」はOKです。でも「次に」のところが急ぎすぎです。議論ではなく「やる」と言っている。待って下さい。
「課題」に対して「課題として認識し、議論する」ことをやってほしいのであって、議論をすっとばして、「こうします」では、自公政権とあまり変わらないではないですか。
票が欲しいのは分かりますが、「こうします」の農業政策がこれでは、先が思いやられます。
●コメの消費は減っている
コメの消費は減り続けています。理由はふたつ。
ひとつは、食生活の変化です。日本人はコメを食べなくなりました。過去50年ほどでひとりあたりの摂取カロリーに対するコメの割合は半分程度に落ち込みました。
もうひとつは、少子高齢化と人口減少です。高齢化は消費量を減らします。必要摂取カロリーも減っていきます。さらに、人口が減れば必要な量も少なくなります。
このふたつから、日本のコメは日本人がコメを食べないことによって必要量が少なくなっています。この流れは簡単には変わりません。
つまり、主食用のコメはどうやっても余る構造です。
長期的に食育などによって、肉食や食用油脂の摂取を減らしたり、小麦食を減らすことができても、コメの必要量を増やすのはとても難しいと言えます。
●農家は減少する
個人経営の農家数は減少し続けています。販売を主体とする個人経営者の基幹的農業従事者の約7割が65歳以上です。農水省の統計はかつて年齢階級の調査で他の産業などと同じく65歳以上をひとくくりにしていましたが、現在は85歳以上まで5歳刻みにしています。7割の農業従事者が「年金生活者」となっている実態があります。これを急速に若返らせるすべはありません。
それに対して、農水省は、大規模化、集団化(法人化)を推し進めています。政策としてひとつの整合性はありますが、農業は中小規模の家族経営体が地域インフラを含めて維持している側面もあり、一方的に大規模化する政策はいくつかの問題を起こしています。
さて、個人経営体の農業者のうちもっとも数が多いのは稲作です。さらに、農業を主としていないが販売もしている農家もいます。
●稲作農業の問題
稲作は、第二次世界大戦中に管理作物となり、政府が全量買い取りをしていました。戦後もそのしくみは変わらず、食糧管理法のもとで政府が価格(米価)を決め、全量を買っていましたが、高度成長期に入るころから生産量は増加するのに消費量は減少に転じます。つまり、コメが余りました。コメが余れば政府は在庫と赤字を抱えることになります。
そこで、減反政策が導入されました。コメを作らない代わりに、費用補償をするというものです。食管法によって自由にコメに値段をつけたり、消費者に直接売ることも難しかった時代に、さらに、自由に作ることも許されなくなったのです。
そもそも、食管法は農協などの中間組織を肥大化させました。農家はコメをつくるだけ。あとはすべて農協を含む他の組織や政府がやってくれる。つまり、稲作の農家は農業経営者とはとても言えない状況に無理矢理置かれたのです。
そこに生産調整という政策的な強権が行なわれました。それは国と地方自治体それに農協などの組織、さらには集落単位での強力なしばりを生みました。あたかも戦時中の隣組のようなもので、減反政策に反対し、自由な作付けを求める人達は「ヤミ米」「国賊」とまで言われたのです。
しかし、少数でも、有機農家など一部の農家が自分で品種、栽培方法を選び、自分で消費者に売るという取り組みを続けました。これら農家の存在が、長い時間をかけて、現在のような自由にコメをつくる状況を作ってきたのです。
減反政策は、形の上ではなくなりました。しかし、地域によっては従来の生産調整のようなしくみは残っています。また、政策に従わない農家は、その政策とは関係ない農業経営上の支援策も受けにくい「いじめ」のような状況も残っています。とくに、農業経営者として自主自立の精神で農業を続けようという意欲のある人達にとっては、減反政策は百害あって一利なしなのです。
●稲作に関する政策の大きな方向性
いまの政府、農水省は、主食用の需要が増えないことや、国際的な食料・飼料の需給が厳しくなっていくことをふまえて、コメを主食用として輸出する、冷凍米飯や米菓などの加工用に契約栽培される米は多収穫を支援する、畜産飼料(牛、豚、鶏のエサ)用の作付面積を増やすという誘導策をとっています。とはいえ、これらの現状は主食用に比べればわずかな量です。
この政策にもいろいろ課題はあります。
たとえば、加工米は冷凍米飯のように実質的に主食用となっているものもあります。また、加工米は品種としては主食用と変わらないのですが、その補助金の出し方に問題があり、予定量以上に収穫したものの取り扱いは自由になっていて、当然それは主食用として販売されます。つまり加工米契約で栽培し、農薬化学肥料を多投して面積当たりの収穫量(反収)を増やすと儲かる仕組みになっています。それにより、農薬化学肥料の多投や食味の劣化などの問題も地域によっては起きています。
また、稲作関連の補助金は多岐にわたっており、その使い方や配分のあり方など、課題として検討すべき点はたくさんあります。
もうひとつ、新たな政策的視点として急浮上してきたのが「みどりの戦略」です。有機農業の推進がようやく政策課題として現実味を帯びてきました。もちろん、これは気候変動対策からの必要ですが、環境保全、食の安全といった面で期待されます。日本で有機農業を増やしていく一番の近道は稲作です。いま、日本の有機農業がなかなか増えないのは、生産や認証、流通にコストがかかり、それを消費者が吸収できない(高くて買えない)という課題があります。農業への新規参入者の多くが有機農業を希望しているようですが、この課題の解決なしは目標は果たせません。現在の政策のあり方からどう転換するのか、大きなテーマです。
●減反政策復活&戸別所得補償、備蓄米増加は、愚策です
さて、話を本題に戻すと、「コメの消費が減っており、減り続ける」でも、「生産量は多い」。しかも、需給が引き締まって価格が急上昇局面を迎えそうならば政府が主食用として販売するための在庫も持っている。というのが今の状況です。コメ以外の商品ならば、価格が暴落して当たり前の状況です。
また、いまコメが余っているからと政府が緊急に買い上げすれば、それは仮に政府が「市場に放出しない」と確約しても、将来の価格低下圧力につながります。
実際、今年のコメの価格は暴落しています。稲作中心で経営しているとりわけ大規模な農家は大打撃を受けています。小規模の農家も実入りが少なく「怒って」います。でも、小規模な農家は来年作付けを止めるかといえば、止めない人が多いと思います。なぜなら、稲作がその農家の主たる収入源ではないからです。年金、そのほかの仕事等の収入が中心だからです。稲作は採算割れでも簡単には止めません。止めるときはたいていが、お金の問題よりも、高齢などで体が思うように動かなくなったというものです。
つまり、コメの価格が暴落するのは基礎生産量が経済の動向とは関係なくある程度あるからです。でも、これらもやがて減っていくことでしょう。すでに超高齢化しているからです。
問題は、稲作中心で経営しているこれから将来にわたって日本のコメを支える人達です。コメ価格はこの農家・農業経営体を苦しめています。
さて、現在の政府は「価格が急減したら補填する保険制度をつくったから入りたい人は入って」「需給の状況は逐一発表するから、何をどうつくるか、自分で決めて」という政策をとっています。前者は減反政策を止めてからの急激な状況変化に対する緩和措置、後者は稲作以外では「普通のこと」です。
コメは日本列島における主要な穀物であり主食です。コメさえあれば「飢えさせる」ことはありません。だから、ほぼ100%の自給ができています。生産量だけをみれば過剰です。それをうまく他用途に振り向けられれば言うことないですし、輸出国のようになれば、コメ自給率200%とか、カロリーベースの食料自給率60%も夢ではないでしょう。でも、本気で輸出国になる気配はまだありません。
この状況で減反政策を復活させたらどうなるでしょうか。減反政策は、その性質上、農家一律に課せられます。大規模農家は、大規模だから経営が成り立つのです。仮に30%の減反面積が課せられたら、小規模農家はその補償金で残り70%の稲作を続けるでしょう。でも、大規模農家は、果たして生き残っていけるでしょうか?それは生産性と作業効率を落とすことにもなるのですから。結果的に日本の稲作の構造転換を遅らせるだけになるのではないでしょうか。
仮に、どうしても減反政策的なものをやりたければ、有機農業化補助制度をすればいいのです。有機稲作の場合、慣行の農薬化学肥料前提の稲作に対して、だいたい7割ぐらいの収量を想定すると安定してできるとされています。つまり有機農業に転換するだけで、生産調整に相当することは達成可能です。
また、加工米で政府が行なっている「多収穫コンテスト」や多収穫である方が儲かる補助制度も止めてしまえばいいのです。
そのような未来に向けての構造転換ではなく、従来の古い非民主的な仕組みである減反政策を復活させようと考える政治組織があるとすれば、それは極めて現実を知らない非民主的な組織と言わざるを得ません。
最後に、旧民主党政権が行なった稲作農家への戸別所得補償政策について。この政策は、いくつかの補助金を止めてそれを稲作農家への一律の所得補償とするものでした。この政策のもっとも優れたところは、農協経由の支払いではなく、農協以外のどの口座であっても直接政府が補償金を振り込むという点です。それ以外は、最低でした。
なぜ、稲作農家だけ、生活支援金のようなものが支払われたのでしょうか? 稲作はそもそも産業として成り立たないというお墨付きなのでしょうか? 経営者としての稲作農家を馬鹿にしているのでしょうか? コメが余り、消費者がコメを買わない中で、その結果として生産者に金を支払う意味が分かりません。
食料安全保障の意味ならば、コメを「作らせる」ことになり、価格は暴落します。実際に戸別所得補償政策はコメの価格低下圧力となりました。もっとも、東日本大震災があったことにより、一時的にコメは高くなりましたが、これは別の理由です。
農村社会を守るため? 農村の自然環境を守るため? それが戸別所得補償である理由にはなりません。他の政策補助金などはいくらでもありました。
高齢化という形で構造転換が起きるなかで、それを単に遅らせるという目的が不明確な政策だったのです。
稲作農家への戸別所得補償政策は、天下の愚策です。
それならば、むしろ、消費増と生活安定のためのベーシックインカム制度を本気で検討した方がいいのではないか?
あわてず、議論して下さい。